渋沢栄一の飛鳥山邸
紙の博物館、北区飛鳥山博物館、そして渋沢史料館の3つの博物館が並び建つ飛鳥山には、近代日本経済の基盤をつくった渋沢栄一が住んでいました。明治 12年(1879)からは別荘として、そして明治34年(1901)から亡くなる昭和6年(1931)までは本邸として生活をしていた飛鳥山邸は、「曖依 村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、単なる私邸にとどまらず、国内外からの賓客を迎えるなど栄一の活動拠点としての「公の場」という性格も持っていまし た。
8,470坪という敷地内には、日本館・西洋館をつなぎ合わせた本邸を中心に、茶室など附属建物が庭内に点在しており、そして大正時代には、栄一を記念した建築物である晩香廬と青淵文庫が造られています。(渋) *文章は、2008年4月24日の配付資料より
飛鳥山邸 正面玄関
※『青淵渋沢栄一翁写真伝』(昭和16年)より
※『青淵渋沢栄一翁写真伝』(昭和16年)より
飛鳥山邸 模型俯瞰図
※『青淵渋沢栄一翁写真伝』(昭和16年)より
※『青淵渋沢栄一翁写真伝』(昭和16年)より
- 場所:
- 東京都北区王子、東京都北区西ヶ原、東京都北区滝野川