渋沢栄一の住まい
近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一は、設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を眼下に見守ることができる飛鳥山に、邸を構えました。1879年(明治12)からは内外の賓客を招く公の場として、その後1901年(明治34)から亡くなる31年(昭和6)までは家族と過ごす日常の生活の場としても使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれ、栄一もこの地をこよなく愛していました。
公園内の旧渋沢庭園には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が、当時のままの姿で残っています。
画像:「救世軍大将ウイリアム・ブース氏招待(飛鳥山邸にて)」/1926年(大正15)/渋沢史料館蔵