西ヶ原一里塚の二本榎
江戸時代の慶長9年(1604)、幕府は諸街道を整備して一里塚を設けました。西ヶ原一里塚は、旧岩槻街道の日本橋から二里目にあたる目印です。
大正5年(1916)、東京市が電車軌道の敷設と市区改正計画により、西ヶ原一里塚を撤廃することを計画しました。この時に滝野川町長の野木隆歓や町民有 志とともに渋沢栄一は保存を推進します。そして栄一や古河虎之助等の寄付金により、周辺の土地600坪を購入して、土地を東京府に寄付し、同地を飛鳥山公 園の附属地として保存が決定されました。 後にこれを記念して保存碑が建てられ、大正5年10月には碑の除幕式が行なわれました。(渋) *文章は、2008年4月24日の配付資料より
一里塚付近(大正5年)
- 場所:
- 東京都北区王子、東京都北区西ヶ原、東京都北区滝野川